香綾会コラム
No.57「香綾会関東支部だより 第1号」
香綾会関東支部事務局 副支部長 後藤 仁哉(高17回生)
1.以下の20個は博多の方言です。さて、意味がわかるのはいくつですか。
2.香椎の図書館で、占領直後の香椎と周辺の軍需廠の写真を見つけました。
昭和18年12月香椎軍需品集積所松原倉庫が建設され、若宮、舞松原には需品廠の、土井には糧マツ廠、衛生材料廠(現存)の倉庫がありました。
昭和20年、多々良国民学校の高等科5.6年生が勤労動員で倉庫に入ったとの記録があります。そして、終戦後の昭和20年11月、福岡地区には米軍1万0192名が駐留し、うち香椎松原倉庫には海兵第28連隊5部隊2600名が配置されて、多々良土井倉庫には270名が駐留しました。
地域では夜警団が結成され、強盗等があれば、海兵隊司令部(東公園一方亭)に電話してMPがきたようなこともあったようです。その後、海兵隊は昭和24年に撤退しています。
なお、戦争中の昭和20年6月19日、福岡空襲では、市内の3分の1が消失し、死者・行方不明者は1000名超、罹災者は6万名でした。米軍機に対し、迎撃する戦闘機はおらず、高射砲は南九州の鉄道や要塞防衛に転用されており、殆ど反撃しておりません。昭和20年の空襲時、高射第四師団傘下博多区隊は高射砲36門を備え、東区には名島に第5中隊の6門、箱崎に第6中隊の6門があったようです。
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