香綾会コラム
No.55「母校・香椎高等女学校の思い出」
松岡 フミ(女10回生)
香椎高女10回生の私が在学したのは、昭和5年4月~9年3月の間である。卒業アルバムのはじめにあるのは、校門と奉安殿と綾杉である。奉安殿に最敬礼しての登下校であった。手元にある通信簿・生徒心得のはじめの頁にあるのは「教育勅語」である。毎月1回、全校生徒により講堂で「報徳会」が行われ、生徒代表が「教育勅語」を拝読し、実行問題を決議していた。礼儀・服装・言語動作など具体的に決め、実行していたように思う。
田んぼに囲まれた平屋建ての校舎で、校庭内には畑があり、園芸の教科では1年生は花、2年生では野菜を熱心に観察し栽培していた。。
私の手元に在学中の作文集が残っている。原稿用紙155枚である。月曜作文・五行作文など毎週提出していたようである。3年生の時の担任の梅崎政枝先生の赤インクでの添書が懐かしい限りである。
師走になると思い出すことがある。昭和8年12月22日、私は奈良女高師受験のため関門連絡船を経て、下関から夜行列車に乗った。翌23日早朝、神戸駅頭での号外・日の丸のはためきにびっくり、「皇太子御誕生」の朝であった。79年前の私は、セーラー服の女学校4年生であった。25・26日が入学試験、無事合格し昭和13年3月卒業。母校香椎高女に昭和15年4月~23年3月まで勤務、戦中・戦後の激動の時代であった。
その頃、担任した昭和19年3月卒(高女20回生)の同窓会「はたちの会」に毎年御招待され元気をいただき、95才の今日を迎えております。有難いことであります。
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