香綾会コラム
No.51「第15回生『横断幕』贈呈によせて」
蒲浦 政徳(高15回生)
平成24年4月28日(土)第15回生同窓会が行われ、私も出席をした。旧友と会えることは楽しくもあり、懐かしい思い出に浸れる場でもある。同窓会とはそんなところと思っている。我々の世代は、既に一線での勤めを終えた者も多い。
我々15回生には、現在関東支部長の古川君、それにわすれてならないのが、高校応援歌を作った、河辺さん(作詞)と佐藤君(作曲・残念ながら他界)である。 各地にいるみんなにこうして集まる機会を作ってくれるのは本当にありがたいもので、担当した方には頭が下がる思いである。
今回の同窓会で、評議員の安部逹玄君の提案で、第15回生としての「横断幕」を高校に贈呈することが決まった。その時、私は「なんのこっちゃ?」の状態だった。安部くんはそれまでいろいろ考えて、集まったみんなに提案したのだろうが、内容がよくわからん私は、「安部がそう言うのならいいよ。」の心・・・・・。 要するに私は同窓会の舞台裏をまったく知らなかった訳である。その後「横断幕」が出来上がり、高校に贈呈するまですべて安部君がやってくれた。
こんなこともあり、同窓会ばかりでなく、人の集まりについての世話は本当に大変だとつくづく思うのである。感謝・感謝。
後列左側、安永事務局長と生徒会、右側15回生の有志の方々
私の高校時代からを少し振り返ってみよう。勉学はもちろん優秀でなく、クラブ活動が中心だったような感じである。小学・中学の頃から電気いじりが好きだった私はすぐに「無線部」へ。先輩から「まず一年生は5球スーパーラジオを作れ」の命令で、無線部での活動が始まった。また運動部の「ラグビー部」にも入部した。この頃は「トライ3点・ダイレクトタッチなし」の時代だった。当時顧問の守田先生は教員の部で国体等に出場され、決して大きくない体でファイトいっぱいプレイされていた事を思い出す。(残念ながら他界されたが・・・) 私のラグビーも高校卒業と共に終わった。
無線部関係はその後もずっと継続し、高校時代に取ったアマチュア無線局の免許「呼出符号JA6CUI」は現在も更新を続けている。ただ思い出多き無線部も平成2年頃に他のクラブと併合?して廃部となったようである。
一昨年秋に無線部OB会を結成し、現在はその事務局を担当している。昭和28年卒から平成2年卒までの元部員への連絡や「無線部OB会会報」発行もたいへんであるが、何かの役に立てばと思って引き受けた。
また平成24年6月の高校文化祭「常磐祭」には、香綾会事務局のご協力で無線部OB会として参加し、OBの作品や機器を展示することが出来た。
さてこれからの人生、15回生はみんな元気でそして明るく生きて行きたいものである。
第15回生はみんな元気デース。
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