香綾会コラム
No.47「由緒ある黒門雑感」
空閑 龍二(高9回生)
卒業は遥かに昔のこと、母校を久しく訪ねなかった身で、昔の校門辺りに佇むとき、俄かに昔がよみがえり懐かしさが募ります。旧郡内の女学校を引き継ぐ母校は、当時の場所そのままにすっかり姿を変えて残ります。
当時は大きな門もなく、門とおぼしき辺りに素朴な門柱が両脇に立ち、敷地の左に広い運動場、右隅にくすんだ色合いの木造校舎が、棟低く穏やかな雰囲気で並んでいました。水も枯れ気味の川岸の向こうに運動場が見え、広い青空の下に佇む校舎は、どこまでも一幅の風景画、そんな光景に沢山の夢が隠れている気がしたものです。旧高女は歴史が古く、前身の旧制男子中学創立も昭和十六年で、二つの学校が合併したのは戦後のことです。旧制中学の創立に際し、篤志家と初代校長が意気軒昴に語った『黒門』の由緒は、折にふれ語られ続け、今日に至ってもなお語り草として伝わる話です。昭和十六年に篤志家が創設した旧制男子中学は、戦後の教育改変で旧高女跡の校舎へ移転し、戦前の旧高女と合併して男女共学の高等学校となり、その後、時を経て創設者の意を汲んだ大きな努力で、黒門が再興されました。
さて、昔を偲んで母校を訪ねた時、狭い路地の先で隠れんぼする正門の光景に一抹の淋しさを感じます。旧武家屋敷の長屋門が、学校創立に情熱を傾けた先人の執着の門と知るだけに、裏道の狭い道を覚束なく車で辿り、やがて着く先の正門に、何やら先人の志の陰りを覚えます。多少は横着な言葉と自覚しつつ、叶うなら広くて大きな校門再生の夢を禁じえません。さらに無いものねだりをすれば、多彩な生徒活動や学校行事を発信する門、あるいは多くの外来者が容易に往来できる門前の道こそ、由緒の門を活かし学校の発展に大きな力となると思うばかりです。母校はなお飛躍を期し、地域発展に遅れず、更に新しい展望も大切でしょう。
前身の旧制中学創立時に、篤志家と初代校長が関東の名のある学校に負けない『黒門』の志を、あらためて思い返します。母校の土地柄を思うに、発展の蚊帳の外に置き去りされる不安を感じます。孫悟空がキントン雲から下界を眺めては、母校に発展の余沢が押し寄せないものかと、思うことしきりです。町の発展は道路網が幾重も延び、隅々を豊かな町に変える激変の時代になりました。単に時を経るだけが伝統ではなく、先人たちの思いを伝え残す今後の格闘も、「伝統」を伝え活かす鍵だと思います。「象徴の黒門」を大切にすることは、門を往来する多様な人のその数来に尽きると思います。将来の大きな展開と創生に向け、新たな展望を見出す日を心待ちにして、母校へのささやかなエールにしました。
※空閑龍二さんは、2011年香綾会ニュースでご紹介いたしましたように「福岡歴史がめ煮シリーズ」を出版されています。
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