香綾会コラム

No.43「旧職員 小園スミ先生を偲んで・・・」

    

香綾会事務局

平成23年3月18日、小園スミ先生の葬儀が香椎典礼会館にて行われ、96歳の生涯を閉じられました。

小園先生は(第30コラム参照)昭和20年3月から昭和51年3月の31年間、香椎高校の被服科の教員として勤務なさり、この期間中、担任を持たれたのが12回、昭和25年卒2回生・昭和28年卒被服科1回生(高5)・高8・高11・高12・高15・高17・高20・高23・高26・高28回生です。

葬儀には多くの教え子の方々が参列され、涙をながされ昔の思い出を語られていました。弔辞も被服科1回生の三原弘子さん(第31コラム参照)と高8回生被服科2回生の秋竹梅子さんのお2人が拝読されました。弔電も香綾会会長 中牟田弘治様と八香会会長 和田精吉様からも届き拝読されました。

本当に香椎高校の被服科の歴史は、小園先生なくして語れないほど偉大さをひしひしと感じさせられました。

小園スミ先生の御冥福を心よりお祈りいたします。安らかにお眠りください。

香綾会事務局 田村 真保

香綾会コラム No.43「旧職員 小園スミ先生を偲んで・・・」
         

「弔辞」

先生のご生前のお姿をお偲びしながらお別れのご挨拶を申し上げます。

私達がはじめて先生にお会いしましたのは、昭和25年の春、61年前です。香椎高等女学校から新制香椎高校男女共学になり、その中に被服科が設置されました。その第1回生として入学致しました、1クラス40名でした。その時の担任の先生が小園先生でした。戦後の混乱も落着き、新しい高校生活に喜びと緊張をいだいての入学でした。

その様な私達を先生は温かく迎えて下さいました。先生にとって初めての被服科程の生徒達、しかも裁縫に関しては経験に乏しい私達を熱心にご指導いただきました。洋裁は、初めての体験でした。原型作り、製図、断裁です。ミシンかけも初めての人がほとんどで練習も大変でした。その様な中、一人一人ていねいにご指導いただきました。

この頃はまだ布地の乏しい中でブラウス、スカート、ワンピース、スーツ、コート等作りました。それ等の出来上った洋服を着て先生を中心に写った記念写真、皆喜びにあふれています。

和裁では新しい反物で縫うことは無く、古い着物の仕立直しでした。これらを教材として揃えるのに先生も大変ご苦労されていました。その様な中、ゆかた、袷、羽織り、コート、綿入れ等一通り習得致しました。

ノートの整理、部分縫いなど先生の教えのもと、きっちり出来ました。それらは、今でも大切に取っています。被服科時代、基礎的なことをきっちりと習っていましたので、その後スタイルブックを見ながら、自分や家族の洋服、着物と手作りで楽しむことが出来ました。

ホームルームの時間など先生のご自身の体験談や2人のお子様の成長のご様子、お母様のことなど聞かせていただきました。多感な高校時代、いろいろとご指導いただきました。今の生活の基になっています。

先生を中心に過ごした3年間クラスの絆も大変強く、毎年クラス会を開いています。数年前まで先生のお元気なお姿に接しておりましたが、最近はご様子をお聞きするのみになっていました。お2人のお嬢様家族、お孫様方にも恵まれ、温かい介護を受けられておられるご様子に安心致しておりました。

96才の長寿を全うされ、それまで沢山の教え子を世に送り出されました。これまで見守ってこられましたご家族の皆様、大変淋しくなられることと思います。私達も生き方を見習い、残された人生を有意義に過ごしたいと思います。

どうぞ天空から私達の生き様を見ていて下さい。心よりお祈り申し上げます。

つたない言葉ですが、お別れのご挨拶とさせていただきます。

平成23年3月18日 香椎高校被服科第1回生 三原 弘子

香綾会コラム No.43「旧職員 小園スミ先生を偲んで・・・」

「お別れのことば」

先生、長い間お疲れさまでした。お別れのときが来ましたね。先生とは親に対する気持と同じでいつまでも生きていて下さるような気がしていました。最近はご無沙汰ばかりで・・・ごめんなさい。

2年位前にお家にたずねていった時はベッドに寝ていらっしゃいました。ふんわりとしたお顔、優しい声はいつもと同じで、そして温かい手でしっかり私の手をにぎり「ご主人は元気ね」「長男さんは結婚されたね?」など、いろいろなことを覚えていてたずねて下さいました。立花みかんをおいしそうに食べながら・・・。

最後までしっかりとみんな事を思いやれ人に私もなりたいです。

思い起こせば、15才の時に先生に出会い、裁縫や御行儀、社会に出てからの事などいろいろ教わりました。先生は衣・食・住についてよく工夫し、実践して私達に活かしたり教えたりして下さいました。卒業後もお会いする度に「前の服をこのようになおしたのよ」などちょっと自慢げに見せて下さいました。

忘れることができないのは、被服教科でスーツやワンピース、着物など縫うとき、家庭の事情で教材が準備できない私に自分のスーツや着物を縫わせて下さいました。不器用で仕立てが上手じゃない私によくぞ縫わせて下さったと感謝しています。気が利かない私ですからその時ははっきりお礼を言ったでしょうか・・・改めまして、あの時はありがとうございました。

それから先生の「米寿」のお祝いをみんなで先生の家のとなりの「田島屋レストラン」でした時の先生の笑顔も忘れません。

まだまだ思い出は沢山ありますが、今日はこの辺でおわります。何しろ生徒も古稀を過ぎ半世紀前のことはぼんやりしてきました。

これからも優しいご家族のみなさまや私達生徒、そして香椎高校、それから広しく子供達を見守って下さい。

それでは先生さようなら・・・。

平成23年3月18日 昭和31年卒業 8組 秋竹 梅子

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