香綾会コラム
No.42「48年振りに母校を訪れて」
桑野 繁松(高15回生)
同級生のウォーキンググループで、高校時代の思い出の香椎の街を歩こうという企画となりました。大半の人が卒業以後香椎に来たことがなく、一度母校へ寄りたい希望も出て、私自身も黒門は一度見てみたい気持ちを持っていました。これは私が福岡城の黒門と思っていたことが、退職後、福岡に戻り、香椎高校の黒門は相馬家の江戸屋敷のものを旧制香椎中学の正門として、太田清蔵さんが東京から移築され、女子大から高校に再移築された事実を知りました。
立ち寄りをメールで申し入れ、田村さんがわざわざ休日出勤してくれることで、卒業以来の訪問が実現し感謝しています。このウォーキングの会は、同級生の農作業メンバーを核として、福岡県の周辺の山歩き、島巡りと釣り、歴史の街巡り、工場見学、棚田ウォーク等、メンバーの提案で、年間7~8回実施してきました。
今回の香椎の街ウォークは16回目で、参加者は全員同級生9名です。
そのほか、ゴルフや懇親会等もあり、何らかの目的で、毎週集まっては、いろいろな悩みや相談、世間話に思い出話等、ダベリングに食事と飽きもせず、繰り返し実施しています。年齢からいって当然、健康や病気関連の話が多くなってきています。
前置きが長くなりましたが、久方ぶりのJR香椎駅、西鉄香椎駅は新たな建物に変わり、最近久しぶりに読んだ松本清張の「点と線」の描写とは全く異なった風景になっていました。しかしながら、高校時代に我々の目に写っていた風景は部分的に点として残り、中でも香椎宮や途中の町並みは懐かしい思い出として確認出来ました。高校への道は相変わらず狭い道路で、車が多く歩行者に危ない状況と、説明のしにくさは変わっていません。
高校の正門は黒門となり、2、3年の時の教室があった辺りにありました。48年前の思い出さがしは難しく、グランド横の大きくなった楠の木くらいで、校舎は全く変わっていました。どこかに懐かしいものが無いかと探しましたが、私は見つけることは出来ませんでした。ですが、参加者の中には淡い思い出をしっかりと確認をした人もいたようです。
当日、4月からの新入の女子校生を数人見かけ、初々しい姿は、思い出として懐かしく感じつつ、香綾会館では諸先輩の作品や過去の思い出の写真等、特に在学中の校舎火災や近いところへの米軍ジェットの墜落事件等、思い出話に花が咲きました。新たな情報として、香綾会の意味や校歌の作詞を火野葦平に依頼した経緯等を教えてもらいました。
当初黒門以外に特別な気持ちが薄い訪問でしたが、思い出さがしは線にはなりませんでしたが、総括としては良かったと思います。
田村さんは忙しくなりますが、卒業生の皆さんに一度は母校訪問をお勧めいたします。当日お世話になり、ありがとうございました。
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