香綾会コラム
No.31「新しい時代への息吹の中で」
三原 弘子(旧姓:安部)(被服科第1回生)
来年の春には、被服科が閉科されるとのこと、これも時代の流れなのでしょうか。卒業生として一抹の淋しさを感じます。
私達は昭和25年4月男女共学、地区制になっての第1回生として入学しました。被服科は女子のみ40名で、終戦5年目の、戦後の混乱もやや落ちつき始めた頃で、新しい時代に希望をいだいての入学でした。
その頃はまだ結婚したら女は家庭に、針仕事の出来ない女性はだめ、男女共学では女らしさがなくなるなどの思いが強く、親のすすめで被服科に入ることになりました。
当時は、まだ女学校としての名残がつよく、家庭科系の先生も多く、担任は小園先生でした。大変熱心にご指導いただきました。初めてメジャーを使って、胸囲、背肩幅、首回りを計っての原型作り、方眼紙による製図の縮小、型紙作りなど、特に洋裁は新しい経験でした。ミシンの練習では、何度針を指にさして血を流したことか、下糸をくいこませるなどの悪戦苦闘、でもはじめてのブラウスが出来上った時の喜び。スカート、ワンピース、スーツ、卒業時にはコートも作りました。その頃今の様な既製服は少なくほとんどが手作りで、生地も出まわり始めた時代でした。しかし和裁は、ほとんど新しい反物で縫うことはなく、洗い張りした物、すり切れたり、穴があいた生地をつくろいながら仕立てたものです。
ゆかたから綿入れまで色々と縫物を体験しました。今でも色あせた和裁、洋裁のノートやポケット、ボタンホール等の部分縫いなど残っていて、当時を懐かしく思い出しています。中学生の時好きでなかった洋裁も被服科で基礎的なことから順序よく学ぶことにより、作り出す喜びを知ることが出来ました。結婚して子育てや家事の合間に子供の服、自分の服などを手作りで楽しみました。
これも高校時代に基礎的なことを学んでいたのでスタイルブックを見ながら作ることが出来たのです。今は和裁をやっていて新しい反物で縫える喜びを感じながら、今の私のライフワークの1つになっています。
最近では、女性の生き方も多様化し針仕事の出来ない若い人が多いようですが、一部の人でもいい日本人特有の手の器用さをいつまでも大切にして欲しいと思います。
これからは服飾デザイン科として、感性をみがかれ、女性に夢をあたえ、新しい時代にそった人間としての生き方が出来る若い若い後輩に期待したいと思います。
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