香綾会コラム

No.23「海の男の想い」

    

中野 公一(旧姓:穴吹)(高31回生)

私は、昭和54年(1979年)3月に卒業した31回生です。今年の3月で丁度30年が経過しました。高校時代から勉強が得意ではなかったこともありますが、3年生の途中から就職を希望し、卒業後は海上自衛隊に入隊しました。これまでの30年の海上自衛隊勤務において、米国派遣訓練、日露捜索救難訓練、インド洋方面での給油活動などの海外への航海を経験し、現在はソマリア沖・アデン湾での海賊対処行動に従事しています。

さて、外国航路の商船船員の皆様は、普通でも1年以上日本を離れて航海されると聞いており、私がこれまで経験したものでも半年程度ですから、商船船員の皆様の足元にも及びませんが、それはご容赦頂き、今回は海上勤務を通じての「海の男の想い」について随想的なお話をさせていただきたいと思います。

「流れ星が見えている間に3回願いを唱えることができれば、その願いは叶う・・・」というお話はほとんどの方がご存知だと思います。そもそも科学的にはそのような効果はあり得ないでしょうし、例え効果があるとしても一瞬しか見えない流れ星に3回の願いを唱えることなどは不可能です。「ではなぜ?」というのが今回のお話です。

星の観測や星座についての言い伝えが始まったのが紀元前3000年頃のエジプトやメソポタミア文明の時代と言われています。その頃から流れ星も観測されていたでしょう。先の「流れ星への願い」の話は、人々が海へ積極的に出始めた頃、大航海時代の船乗り達の言い伝えとも言われています。現在の大型で高性能の船舶でも長期間の海上での生活は大変厳しいものですが、当時の船と言えば帆船でした。ヨットと理論は同じですが、帆船でも大型化してくると、動力がないため、風と目的地への針路とを考慮し、乗組員総員がかりで帆の向きを変えつつ航行するという非常に大変な甲板作業でした。また、造水装置などもありませんから飲用の水も降水に頼るか、発見した陸地において給水するしかないという過酷な洋上の生活であったと伝えられています。更に母国の家族との通信手段もない時代であり、唯一の手紙も船から船と伝わって、配達されるまでには何ヶ月いや何年もかかったり、ついぞ配達されなかったものも相当にあったでしょう。

そのような厳しい航海の中でも、夜の星の美しさは、おそらく船員の心を相当に癒す効果があったものと思います。実際に私も洋上で見る星の美しさには心を打たれました。星座に詳しくなくても、自然と星座のイメージが浮かんでくるのです。母国を何年も離れ、洋上での生活を続けていた船員達が、休息の時間に美しい星空を見上げては、家族や恋人のことを想ったことは想像に難くないところです。船員は、そんな愛する人達を直接自分の力で守ることができないという想いから、流れ星であればほんの一瞬で母国に戻れるのに・・・と想ったことでしょう。それで、昔から海の男は、そんな流れ星にすがり、自分の願いを託したのではないかと思うのです。母国から離れ遥か彼方の洋上のどこにいたとしても、家族や恋人に会いたい、大自然の猛威から必ず生きて帰りたい、そんな自分の夢や希望を実現しようとする強い気持ちがあれば、願いはいつの間にか頭に刻み込まれ、流れ星を見ることができる一瞬の間でも、3回願いを唱えられるくらいになっているのではないかと思うのです。そして、その願いは、実現のために努力しようとするでしょう、だから流れ星への願いは叶う・・・ということになったのではないか。と考えるのです。

現在は、電子メールやインマルサット、イリジウム電話などにより、瞬時に家族や恋人とのやり取りもできます。そのため、今の若い人たちは、星に願いをかけるということ自体がなくなってしまうかもしれませんね。いえいえそうではないようです。

「Fare Wind and Calm Sea・・・順風で平穏なる航海をお祈りいたします。」洋上で船同士が行き交う時に、相互に交わす言葉の一つです。私達は今、ここソマリア沖・アデン湾にて日本関係船舶を護衛しております。護衛を終了した後、我々海上自衛隊の護衛艦から離れて目的地に向かうそれぞれの商船の皆様が、どうかFare Wind and Calm Sea!!でありますよう・・・数百名の男達それぞれが星に願っております。

香綾会コラム一覧にもどる