香綾会コラム

No.21「母校に飾られたお雛様」

    

西村 英子(高女17回生)

お雛様は和室(お作法を習っていた部屋)に飾られていました。

お雛様~創立70周年記念誌より~
【これは高女17回生(昭和15年度)卒業生総数159名の皆さんが、修学旅行中止のため返金された旅行積立金の一部で寄贈されたお雛様です】

支那事変中の在学でしたので、入学以来積み立てていたのは袋に入れて事務室に持って行きました。そこまでは皆記憶にあります。修学旅行が駄目になるのもこの御時勢だから仕方ないなーと諦めたものです。

昭和15年6月22日に文部省が「修学旅行の制限」の通達をし、これを受けて私共の学年の修学旅行はナシとなりました。(その後、昭和18年には修学旅行が禁止になり、高女20回生・21回生は英彦山への「修練会」が実施されました)学校から修学旅行の積立金が返ってきたので、私は母親から「着物にしてあげる」と言われ、博多まで出て買ってもらいました。

その頃の私達は・・

学校では髪はしっかりくびり10cm以上にする様言われましたし、スカートの丈、下駄ばきで草履は駄目等、折りにふれて検査があっていました。裁縫の時間には、下駄の鼻緒の縫い方を習いました。1ヶ月のうち月曜日は、日の丸弁当でした。

教護連盟の方が居られ、学校名関係なく学校外の日常生活指導があっていました。車中でのマナー、映画館に行くのは学校の許可が要り男子とは駄目で家の人と行く事、道を歩く時は道路の半分は空けて並んで歩く事・・等

勤労奉仕があって、出兵されている手薄の家に地区別に行きました。田植え、稲刈り、麦刈りの時期でしたが、私共は農家でないので慣れなく大変でした。

香綾会コラム No.21「母校に飾られたお雛様」
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