香綾会コラム
No.12「若気の至りオンパレードの高校時代」
坂田マルハン美穂(高36回生)
我がティーンエージャーのころの心情はといえば、「うまくゆかぬことばかり」で、常に不安や焦燥感に苛まれていた。勉強にせよ、部活にせよ、友人関係にせよ、なかなか思うように事が運ばず、自分の将来像もまた、ほとんど見えていなかった。常に不完全燃焼の思いを抱えていた気がする。
しかしながら、ここにコラムを記すにあたり、久しく歳月を経て当時を思い返してみるに、元気はつらつ、笑顔を見せた自分の姿ばかりが蘇って来る。
たとえば、膝や腰を痛めて思うように練習ができず、それでもなぜか辞めることのできなかったバスケットボール部。しかし下校時、500ml瓶入りのファンタグレープを一気飲みしているわたしは、額に汗を光らせ、すがすがしい笑顔だ。
最も盛り上がる会話と言えば、意中の異性のこと。学年が変わるごとに好きな男子が変わるというのも、今思えば移り気すぎる乙女心である。不可解なほどに惚れ込んでいたS君のために、有り得ないほどのひたむきさで菓子を焼いたり、セーターを編んだりしたものだ。
ロックバンドのメンバーになり、キーボードを担当したこともあった。思い出すだに恥ずかしいファッションとメイクで「ライヴ」に挑んだものだ。あのファッションセンスはいったい、なんだったのだろう。「時代の違い」の一言で片付けるにはあまりにも痛ましい。前世の記憶として封印したいくらいだ。
3年のときの体育祭はまた、無闇に熱かった。応援団とチアリーダーたちは、数カ月前から準備に張り切った。みなで我が家に集まっては大きな応援旗を作ったり、ハチマキや衣装をちくちくと縫ったりした。大きな鍋で大量の「うまかっちゃん」を作り、分け合って食べたときの、あのおいしさといったら。
脳裏を巡るのは、無駄に壁にぶちあたりながらも一生懸命だった、喜怒哀楽を全身に漲らせていた、自分の、自分たちの様子ばかりだ。自分が思う以上に、実はわたしは、楽しい高校生活を送っていたのかもしれない。知らず知らずのうちに、今のわたしに連なるための、根性や精神力や体力が、あのころ醸造されていたのかもしれないと思う。(続く)
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