香綾会コラム

No.15「女子ハンドボール部創設のお話/前編」

    

平野 奈美(旧姓:松尾)(高33回生)

今年は、スポーツの祭典であるオリンピックの年、西暦2008年です。北京で開催されるなど、連日話題には事欠かないほどです。そんなスポーツの節目の年、実は遡ること30年、1978年に香椎高校に女子ハンドボール部が創部されたのです。

現在では運動部の中でも立派な成果を収めている女子ハンドボール部ですが、創部当初のお話をさせていただきたくペンを取った次第です。

さて、昭和53年春、新入生の逞しい女子4人は、香椎高校に入学して幾日もたたないある日、ハンドボール部の監督である篠崎先生(当時)のもとを訪れました。もちろん、ハンドボールの教えを乞うためです。

なぜ篠崎先生を存じあげていたか?・・それは私たち4人にハンドボールの楽しさを教えてくれた中学の体育教諭(旧姓)船越先生(香椎高校卒業生)が「ハンドボールをやりたいなら、篠崎先生にお願いしなさい。 教えてくださるかどうかは、あなたたちの熱意とやる気次第だろうけど」と。(※船越先生は、自身中学教諭をしながら、社会人のクラブチームにも所属して国体にまで出場するという、熱血ハンドボール現役選手でした。)

体育教官室での篠崎先生と初めて対面。そこには、たぬきのようなかわいらしい顔の先生が。(ところが、実はなかなかのくせもの古だぬき!?その後、どれだけしごかれることになるやら・・。)「ハンドボールがやりたいです!教えてください!お願いします!」と頭を下げても篠崎先生は「いいよ」とも「否」ともおっしゃいませんでした。

しかし、私たちしぶとい4人は毎日体育教官室にお願いに伺いました。今思うと、先生は男子ハンド部を監督するだけでも時間的にも肉体的にも大変なのに、このうえ女子までは無理かもという思いがおありだったのかもしれません。

しかしながら、私たちの熱意に根負けされたのかどうかは不明ですが、基礎練習の指示を与えてくださるようになりました。それが女子ハンドボール部の同好会の発足です。

当初の練習は、「グラウンドを走れ・・うさぎ跳び・・砂場でのタイヤ曳き・・」とボールは一切触らせてもらえず、ひたすら体力練成でした。それも日に日に過酷になっていきました。また、練習と並行して、女子ハンドボール部として学校全体に認知してもらうために、部員を増やさなくてはと同級生に必死に勧誘を始めました。多くの同級生が私達を応援してくれ、結局13名の初代ハンドボール部員が誕生しました。皆の応援がとても心強く感じました。

香綾会コラム一覧にもどる