香綾会コラム

No.8「香椎高校の思い出と第84回香綾会総会③」

    

森 義範(高32回生)

第3話 第84回香綾会総会を振り返って

香綾会総会を知ったのは、幹事になる2年前で、同級生から「俺たちの幹事が2年後に回って来るけん、今度見に行こう」と誘われ、初めて総会に参加した時だった。熱の入った総会を見て、2年後に備えないといけないと実感し、その時に集まった10人ほどで話し合った。

まずは、名簿作りをしなければと各クラスで連絡を取っていくことを決めたが、卒業時に決めた評議員は、ほとんどが福岡にいなかったため、とにかく福岡にいる者でやるしかなかった。ほとんどが女性で子どもの世話や仕事で忙しい中、一生懸命に連絡を取ってくれた。我々32回生は、卒業時に449人いて、卒業して20年が経ちまだ43歳だったが、7人も病気で亡くなっていることが分かり驚いた。連絡がつかない人や関わりたくないと嫌がる者もいたが、皆が帰省する盆に合わせて同窓会を催したところ約150人も集まって、久しぶりの再会に皆が盛り上がった。

その時に準備委員会を発足して、出来る者が出来ることからやっていこうと皆で協力を誓い合い、先輩方から引継ぎを受け、それぞれが知恵を絞り、担当を分けて準備に取り掛かった。 月に1回は集まって話し合いながら準備を開始したが、事情があり途中で出来なくなった人もいて、担当を代わったりしたが何とか本番を迎えることが出来た。

年齢的には皆が忙しい時期だったが、女性パワーの凄さには目を見張るものがあり、さすが元女学校だと実感した。関東支部からも応援に駆けつけてくれて、失敗もなく総会を成し遂げた瞬間、2年間の苦労が良き思い出に変わった。会長始め先輩方からは労いの言葉を頂き、本当にやって良かったと思った。総会を通して、同級生も昔と変わらず元気でいることも分かり、これから先の人生でも何より大切なのは人のつながりであることも教えられた。

これからも永遠に続く香綾会総会には、香椎高校の素晴らしい伝統と誇りを噛み締めながら後輩の成功と母校の発展を願うばかりである。そして我々はもちろんその中継者としての役目を立派に果たしていかなければならないと肝に銘じつつ、益々仕事に精を出す昨今である。

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