香綾会コラム

No.3「中学生・女学生が飛行機を作った」

    

森 辰己(中2回生)

太平洋戦争(国の記録としては大東亜戦争)半ば昭和19年には学徒動員令(閣議による)が発せられ当時の中学、高女3年生以上は学業を中断しての学徒動員がありました。香椎中学2回生、香椎高女22回生を中心とする回期がそれに該当しました。

香椎の浜に朝菜は摘まず飛行機を作ったのです

その九州飛行機香椎工場は今の香椎1中、東郵便局、公団住宅のあたりです。今の道の向こうは海でした。 その場所で我々の手によって作られた飛行機はハシケに乗せられ、現在の海の中道海浜公園水族館マリンワールドの近くで陸揚げされ、観覧車のあたりにあった滑走路で試験飛行を繰り返していました。映像(※1)には福岡西戸崎飛行場と記されており、その雄姿と作業中の学徒の様子がこのビデオ(※1)に残されています。 飛行機の制式名称は東海 機種記号はQ1W1、対潜哨戒機で敵の潜水艦を探し攻撃する飛行機です。 総計153機作られましたが大多数の機体のどこかに私の手が入っています。「オレもそうだ ワタシもそうです」の声が聞こえます。 既に資料室に展示されています動員学徒を示す腕章(田中名誉会長寄贈)とペアで保存されるべき物と考えます。

なお同じ職場には、飯塚商業、岩田高女(大分)、京都高女、都城中学、等遠隔地より動員され、劣悪な条件のもとで労働を強いられた諸兄姉に心より敬意を表します。

※1「日本軍用機集」で日本映画新社が1996年に作成したビデオ

【参考】 文林堂出版の「航空ファン」2006年6月号に、東海の運用記が掲載されました。著作権上、当サイトでは掲載、転載することが残念ながらできませんので、掲載案内のみとさせていただきます。

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