香綾会からのお願い

 難病指定へ向けて署名活動のお願い!

香綾会よりお願いです!!
昨年の第87回香綾会総会の担当幹事として頑張って頂いた、高校35回生の浦野里美さんが「腹膜偽粘液腫」という100万人に1人という難病を患っておられます。現在、この病気は難病指定にはなっておりません。
香綾会としても難病として認定され、安心して治療が受けられるように働きかけたいと思います。よって会員の皆様より広く署名をいただけますようご協力をお願いいたします。

香綾会会長  中牟田 弘治

「腹膜偽粘液腫」(ふくまくぎねんえきしゅ)についての情報は、こちら(腹膜偽粘液腫患者支援の会)をご覧ください。 ご賛同下さる方は、こちらから署名用紙(PDFファイル※)をプリントアウトして、出来れば1枚15名分の署名を集めて下さい(何枚でも、何人でも結構です)。 集まった署名は、香綾会事務局へFAXまたは郵送でご送付ください。
Fax:092-662-4578(Tel・Faxとも同番です)
〒813-0011 福岡市東区香椎2丁目9番1号 県立香椎高等学校内 香綾会事務局 宛

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【難病認定へ命のある限り】  〜2012年1月30日付 西日本新聞夕刊掲載〜

2012年1月30日付 西日本新聞夕刊に『100万人に1人発症「腹膜偽粘液腫」難病認定へ命ある限り 浦野さん闘病記出版』と題して記事が掲載されましたので、ご報告を兼ねてこちらでご紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
※ この記事は西日本新聞社様の命に対する活動へのご理解、ご支援の下、特別に許可をいただき掲載しております ※

    ※画像をクリックすると、拡大された紙面がPDFで表示されます

【浦野さんから出版のお知らせと近況報告 Part3】  〜2012年1月23日〜
本を自費出版します。
経緯は、一昨年の暮れだったと思うのですが、自宅に居てもトイレとベッドしか行く場所のない私が、パソコンを開いてみました。ネットです。

そこで、文芸社の「わたしの闘病記」募集の項目が目にとまりました。
書き溜めていた文章がありました。病院で言われた心無い「言葉」言いたかった「言葉」それらのやりとり・・・とても募集原稿の「原稿用紙3枚」には収まりませんが、無理やり入れて送りました。
昨年、忘れた頃に「残念賞」が送って来ました。

昨年1月から通ったリハビリが終わった日、東京から電話がありました。
「原稿用紙3枚以上の思いがあるのでは?いますぐ、出版とは言えませんが、一度全部読ませてください」と・・傍で耳を傾けていた子供達は「東京から」の電話で私がだまされてると思ったようですが、「送るだけなら、誰か1人でも読んでもらったら気がすむやろう?」と言われ、送りました。
忘れた頃、「出版しませんか?」と電話がありました。しかし、自費、金額を聞いて一度は断りました。電話の内容を家族に言うと長女や次女が大学生、長男も私立の中学。私の医療費と貯金は雪崩をくずし、両親におんぶにだっこでしたから・・

しかし、再度東京から電話があり、もう一度考えてもらえませんか?と言われました。
それを聞いた父が「めったにあるチャンスじゃないから」と借金してお金を作ってくれました。ワードにただ書き連ねた文です。原稿用紙に換算して400枚と言われました。そんなの誰も読みたくないと思い、3分の1、殆どを書き直しました。 自己満足にならないように、この病気が死を意味する事、大阪の医師でなければ展望がないこと。
医療の垣根は想像以上に高く、情報を欲しなければ得られないことがわかりました。

腹膜偽粘液腫という病気の事、難病認定が欲しい。
研究されて、認められた治療が住民票のある近医で受けられるように。病気の告知をされているにも関わらず、老親を見ているからと、大阪に行けない人もいます。子供を見てくれる人がいないから大阪に行けない人もいます。それを知って欲しいのです。
昨年の暮れ、退職しました。幼稚園や保育園やデイケアでは働けないからです。今後は、地域のボランテアに登録に行きました。手品や素話、紙芝居が結構うまいのでそれらで、喜んでもらいたいのです。

最後になりましたが、大阪に行っての2年間(現在3年目)7人が亡くなりました。今年1月5日の岸和田受診に、会いに来てくれた友達は見る影もなく痩せていました。目の前で嘔吐する彼女の背中をなでてやりたいけど骨と皮ばかりで・・・触れられたくないだろうと思いました。
現在、小康を保っているわたしは、これからは署名活動を頑張りたいと思います。

米村先生にも本を見せました。
「売れたらいいね」って言うから、「私は売れるために書いたんじゃない。少ない収益金でも先生の研究費に当ててもらいたくて書いた」って言ったらびっくりして「そうか・・・がんばる」って言っていました。

西日本新聞社から取材を受けました。本の発売日(2月1日)に間に合うように記事にしてくれるそうです。毎日新聞社は、全国版がいいだろうと読者投稿を勧められました。以降はコンスタントに投稿したら・・とアドバイスをもらいました。朝日新聞社は、それぞれの記事が掲載されて「一考お願いします」と電話したいと思っています。RKBも動いてくれそうな気配がします。
ちなみに、西日本新聞社には、「署名活動のみで、募金や寄付の類は一切行っていないと書いてください」と言っています。

香椎高校を卒業して偶然、今年が30年です。30年経ってこういう形でお世話になるとは、夢にも思っていませんでした。長く書きました。よろしくお願いします。
タイトルは「100万人に1人の病気になって」です。
白衣に臆する事なく、病気は医師に任せず自分も医師と一緒に治療に励みましょうと、病気で悩んでいる人の支えになったら嬉しいです。
出版記念    2012年1月18日 香綾会館にて
  「100万人に1人の病気になって」 文芸社より2012年2月1日出版 1500円(税別)


【浦野さんから御礼と近況報告 Part1】  〜2010年4月〜

香綾会の皆さま、署名活動にご協力していただいて本当に感謝申し上げます。

私は5年前に急な腹痛で近くの総合病院の婦人科に行きました。近くの産婦人科医院に行ってくれと言われて、そこで神妙な顔の女医さんに、外科も視野に入れて近くの大学病院へ緊急に行って下さいと言われました。「考えられる病名は何でしょう?」と気安く尋ねると「卵巣癌ですね」とさらりと言われました。後ろに誰もいないのに思わず「私がですか?」と、聞きなおしました。

その後、救急車の手配を断って、タクシーで近くの大学病院へ向かいました。
緊急入院と緊急手術の可能性がある事を告げられました。手術の時に術前検査で私の腹部は臨月のように膨らみハンドルにこするくらいあったですが、ゼリー状の物体が(人によって水や塊ですが)邪魔してエコーでも、MRIでもキレイに写らないので、考えられるありとあらゆる最悪の説明を受けました。

術後の説明で(卵巣境界悪性腫瘍・虫垂癌・腹膜偽粘液腫)の病名の告知を受けました。よくわからない腹偽は置いといて、癌が二つあった事がショックでした。
あと何年たったら長女と(年子の)次女は看護師に就職し・・と夫婦二人で描いていたキラキラとした将来設計が、ガラガラと崩れました。術後、生きている限り再発がつきまとい、経過観察が欠かせず、1ヶ月に9回大学病院の検査に行った事もありました。職場の理解に恵まれて通院できました。それは末の息子の小学校の歴史にだぶり、6年間に参観に行けたのは数回でした。
経過観察を大学病院で続けていたにも関わらず、去年の1月に再発を告げられました。切除術しかないのに教授会の結果、近くの大学病院で手術は行えないと言われ、目の前が真っ白になりました。

その頃、職場の同僚がインターネットで調べてくれて、「腹膜偽粘液腫」の日本でただ1人の専門医の存在を知りました。家族会議をひらき「外国にはやれないけど大阪なら行って来い、山も土地も畑も家だって売っていいから命を救ってもらえ」と父に言われました。
去年の今頃は、近くの大学病院の手術データをもらい大阪で診察を受けました。やはり経過観察は難しく、なるべく早期の手術を勧められ、8月に手術を決めました。

一安心して、ここまで導いてもらった患者の会に恩返しがしたくて、署名活動に参加しようと決意しました。
父が公務員だった為、有効に使わせてもらいました。大阪に行く前に知っている人全てのイスを動かして行こうと決意しました。署名活動も初めは地域の方だけにお願いするつもりだったのですが、丁度その頃、同期で総会実行委員長だった市場君からメールが来ました。藁にもすがる思いで、心情を吐露しました。私たちの年代は人生で一番充実している半面、子供のこと高齢になった親の介護などで忙しい時期でもあります。私は署名のお願いが半分、皆さんの体の事を心配して人生にはこう言う事もありますから「一日いちにちを大切に生きて!」と言うメッセージもおくりたかったのです。
一日一日は、忙しいけど、それは命あってのこと。
親孝行も出来るうちにして欲しかったのです。

手をこまねいていても、命は細くなるのがわかっているので大阪の手術に臨みました。
以降、送られてくる署名の紙の一枚いちまいが私の背中を大阪に向けて押してくれているようで、本当に心強かったです。香椎高校のちからと結束の固さに私は勿論、患者の会の東京の役員の方は驚いておられました。そして、同封される手紙が私の心を温かくしました。
昨年の今頃は、桜もさくらんぼもモロクロに見えていました。今年桜が見れて、息子の中学の入学式に出席出来た事が、本当に夢のようです。

日本にいるただ一人の専門医は61歳になりました。きさくな先生ですが、先生が倒れると患者は途方に暮れます。
先日の厚生労働省への陳情が行われました。時間をかなりオーバーして、米村医師が持参した写真を見ながらいかに困難な手術かを熱弁されたそうです。陳情がとんとん拍子に上がるとは思えません。
5年前に亡くなった患者の会の会長の息子さんの残したブログが、全国にいる患者の星になるならば、現在患者の私たちは将来の患者の為に難病認定されることを切に願います。就労を諦めるのは残念ですが、少しでも社会に貢献できる働きを命あるかぎり、行いたいと思っています。

みなさまの温かい思いやりで私は本当にしあわせです。
旬のタケノコを「山椒を使って酢味噌あえにしたから食べさせてあげて」とか、「ふきのとうの天婦羅を、珍しいから食べさせてあげて」と、近所の方からもおすそ分けを頂きます。呼吸出来る事・背筋が伸ばせる事・階段が昇り降り出来る事・そんな事がとても嬉しいです。
5月1日は私の46歳の誕生日です。今年迎えられる事が本当に嬉しいです。
香椎高校がこんなに団結してくれるとは正直驚いています。高女の方から達筆なお見舞いを頂きました。自分の命はみなさんのおかげで生かされていると思います。HP上で申し訳ありませんが本当にありがとうございました。
みなさんも、どうぞご自愛なさって下さい。

8月3日で手術して1年が経ちます。
現在は子供達の為にも(夫の為にも)弁当作り頑張っていますよ。例年にない寒の戻りが多く桜が長い時期楽しめました。車窓からですが、来年も会おうねって桜に約束しました。
先日、息子の入学式でした。先生たち全員で歌う校歌に感動しました。大阪で夢に見た弁当作りを腕によりをかけて頑張りたいと思います。私の今の病状は腹偽はとりあえず落ち着いていますが、心臓の裏に膿の袋があり、これは手術不可能と言われています。膿の袋もお腹に何個かありますが、あるものはあると受け入れて日々感謝しながら暮らしています。


【難病認定へ広がる支援】  〜2009年10月7日付 西日本新聞夕刊掲載〜

2009年10月7日付 西日本新聞夕刊に「原因不明の腹膜偽粘液腫 難病認定へ広がる支援 闘病の浦野さん署名呼び掛け」と題して難病指定へ向けての署名活動が記事として掲載されましたので、ご報告を兼ねてこちらでご紹介しておりますので、ぜひご覧ください。
※ この記事は西日本新聞社様の命に対する活動へのご理解、ご支援の下、特別に許可をいただき掲載しております ※


【署名活動ご協力へのお礼】  〜高35回生からのメッセージです〜

高校35回生を代表して、一言、ご挨拶申し上げます。
このたびの、中牟田会長はじめ香綾会の皆様のご協力・ご支援に、心から感謝申し上げます。

お忙しい中集めていただいた署名の一筆一筆の筆跡が、そして、一緒に添えられた皆様からのあたたかい励ましのメッセージのひとつひとつが、大きな手術を控えた浦野里美さん本人をどれほど勇気づけたことでしょうか。それは同時に、同じ病気で苦しんでいる方々にとっても、今、一番望んでおられる「難病指定」に向けての活動に対する強い後押しになったものと確信しています。ありがとうございました。

浦野さんのその後の状況ですが、8月初めに大阪の病院に入院し、手術をいたしました。手術は無事成功し、先日ICUから一般病室に移ったとのことです。とは言え、体力が十分に回復するまでには、もうしばらくかかりそうです。本人は「一日でも早く、皆様にお礼を」と思っておりますが、私たちの方からは「焦らず、ゆっくり養生するように」と伝えているところです。

香綾会の皆様、本当にありがとうございました。今回の署名活動には、遠く福岡を離れて暮らしていらっしゃる皆様からも、力強い励ましをいただきました。あらためて「母校の絆」のあたたかさ、やさしさをかみしめている私たちです。ありがとうございました。

高校35回生学年同窓会「35絆会」代表幹事 市場敏彦