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香綾会コラム

   第9回コラム
      歌仙「法師蝉」の由来 ―榎先生と宇美彦、そして連句―

                     高2回生 寺田 悟
当時(1948年新制高校発足してから1951年北校舎が廃止され南校舎に統合された頃)、香椎高校の文芸部が福岡地区の高校の中で一目置かれていたのは、国語教師で顧問の榎治先生と部長だった小林茂生(後に宇美彦と号す)が紡ぎ出す俳句に負うところが大きい。

 当時の宇美彦の句
  1950(昭和25)年
    綿虫に天のかなしびかぎりなし
    貌垂れて噴水の獣凍て極まる
  1951(昭和26)年
    蛇捕りの童話もつことさへかなし

 高校卒業後、宇美彦は俳句を専らにし、職も住居も国中を転々とした。そしてその間、榎先生への消息を絶やさなかった。(その歩みは、西日本新聞連載6回「無名の誇り」、また、俳誌『福岡あすなろ』35号〜75号連載「小林宇美彦拾遺ノート」に今泉一彦(風比古と号す)が述べている)
 風比古の「ノート」によれば、「宇美彦が亡くなる4年前の昭和60年頃から、先生は再び作句に余生を托す意志で、自分の句を虚心に宇美彦に問い、批評を求められた」とあり、宇美彦は、かつて俳句の手ほどきをして下さった榎先生の句を、一句一句丁寧に読み、鑑賞したままを手紙に書いてよこした。その中に交流を楽しんだ一葉がある。

法師蝉の巻
 榎おさむ先生の十句を選び、相変わらずの浅酌低唱の愚弟子、付句をはばからず
 夕闇も死も近づくぞ法師蝉 /おさむ       屹っと不動の道元の眉 /宇美彦
 牛の目は佛の眼なり草萌ゆる /おさむ      凪ぎたる海を足なげて見る /宇美彦
 春の燈やスープに白き指動く /おさむ      太宰治も遙かなりにき /宇美彦
 戸袋を蚊の出でしより朝焼けぬ /おさむ     一切皆苦の鳩ごゑのくく /宇美彦
 門閉ぢて人を恋ふるや秋の暮 /おさむ      潮騒に酌む盃ひとつ /宇美彦
 秋風の素通りするやふりかへる /おさむ     失はれゆく国語さびしも /宇美彦
 せせらぎも湖処子の詩碑も冬ざるる /おさむ  吾老ゆるかな吾老いたりや /宇美彦
 焚火かな寒山拾得高笑ひ /おさむ        ほどよき燗の竹筒の酒 /宇美彦
 潮騒に棲み果つる身の牡蠣を食ふ /おさむ   釣れば鳴きたるつづれ河豚かな /宇美彦
 大寒の威儀を正して来たりけり /おさむ     茶柱立ちし湯飲みいただく /宇美彦
      昭和六十二年一月廿五日 即吟
榎治先生                  小林 拝

 この長短20句に句を継いでわが師わが友を偲ぼうと、香椎高校文芸部OBの男ども5人が36句の歌仙を巻くことになった。2004(平成16)年4月から郵送により紙を回し、先生の命日の同年6月9日に巻き終えて榎家の仏壇に供えた。連衆は、高2回生 長岡驍(俳号:たけし)・寺田悟(悟)・小手川秀樹(秀樹)・高3回生 今泉一彦(風比古)・高木萬里(万里)である。第2「茂藻の巻」、第3「若葉の巻」、第4「返り花の巻」、第5「春潮の巻」これより高女24回生の森敏子(とし)が参加し、第6「土用波の巻」の途中で今泉が病没なされた。第7「彼岸花の巻」そして、2008(平成20)年春、第8を構想中である。

第5「春潮の巻」(2006年6月1日起 10月4日擱)  加筆・修正 高2回生 長岡 驍
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歌仙

※ 連句とは・・
俳諧の連歌のこと。俳諧の発句(ほっく)(第1句)が独立して俳句とよばれるようになった明治以後、俳句または連歌と区別するために用いられるようになった名称で、特に江戸時代のものをさした。五・七・五の長句と七・七の短句を一定の規則に従って交互に付け連ねるもの。百韻・五十韻・世吉(よよし)・歌仙などの形式がある。