トップページ第5回 香綾会コラム

香綾会コラム

   第5回コラム 「校歌制作秘話」

          八香会会長    高8回生 和田 精吉
香椎宮の参道の楠の燃えるような新緑のトンネルを通り抜け、お宮の神木「綾杉」の所に来ると、校歌を作詞した火野葦平氏を囲んで説明した五十数年前の当時のことを今でも鮮明に覚えている。というのも記念誌などでよく紹介されるあの一コマの写真があるからである。そんな事を話している時、近くの森で一際かん高い声でホトトギスが鳴いた。その日は暑く、もう夏だと思った。
若松から葦平氏の御子息玉井史太郎氏御夫妻、星野允伸氏、河原重巳氏御息女の邦子さんをお招きしたのは今年五月二十一日だった。案内役は香綾会中牟田会長、小石澤総括教頭、久保田校内幹事長、事務局の田村真保(二四回生)、八香会から吉武仁博(三)、長崎信子(六)、私(三)それに香綾会総会担当回期の石津美幸(三四回生)であった。
香椎宮の奥にある仲哀天皇の碑の所まで来ると一段と暑くなり写真を撮ったり、メモしたりしていた真保と美幸は顔を見合わせながら額の汗にハンカチを当てた。五十数年前葦平氏を案内した香椎浜や宿泊された「香椎花壇」など足跡を辿り、香綾会館に着いた。
資料室には、この日のために田村真保が校歌や葦平氏にまつわる資料を集め整理してくれていた。その資料を見せながら、当時のことを説明した。史太郎氏は、父葦平氏を偲んでか、しきりに頷かれていた。

梅花の薫る今年二月二十一日長い間懸案だった若松の葦平居住跡「河伯洞」に吉武仁博、田村真保、私の三人で訪れ、史太郎氏から色んな資料を見せてもらった。丁度十年ほど前、北九州市役所勤務の大神誠(二)から火野葦平展を開催しているからと案内があったがいつでも行けるという気安さからつい今日になってしまったのである。

昭和二十九年の夏、新制高校になって、周辺の高校が校歌を作るようになったので我が校もと、先生や生徒代表で「校歌作成委員会」を立ち上げた。そして誰にお願いするかになった時、当時既に文壇で活躍され、又幾校の校歌も作られていた郷土作家の火野葦平氏(本名玉井勝則)にお願いすることとなった。既に昭和十三年に「糞尿譚」で芥川賞を受賞、有名な「兵隊三部作」を発表するなどされていた。
その葦平氏の妹が古賀町(現市)に在住されていた。校歌作成委員会の山田士之夫先生は汽車通学で乗り合わせる漢文の教え子の緒方早苗(四)に「古賀に居られる葦平氏の妹、中村秀子さんを知っている人はいないかねェー」と尋ねられた。早苗は驚いた。それもその筈、早苗は家が近いこともあって中村家によく遊びに行っていた。行っていたというよりも入り浸りだった。だから勿論、母トシと秀子さんは親しい間柄、話は決まった。校歌作成委員会を代表して山田先生、金丸晴美(六)と私の三人が早苗の家を訪れた。早苗の母緒方トシは茶道の師範。早苗は学校から駆け込むと、隣の部屋から襖をほんの少し開けて片目で覗いていた。
母トシはお茶を立て乍ら「そのようでしたら私が秀さんに頼んでみましょう。でも先生は今忙しい方ですから御承知して下さるでしょうかねェ―」山田先生は「そこを何とか頼み込んで下さい」と念を押し乍ら三人はトシが入れてくれたお茶を飲んだ。山田先生と金丸晴美は心得ているらしく作法通り戴いた。私は二人を横目で見ながらぎこちなく戴いた。目の前には上品なお菓子が二つずつ受け皿に乗っていた。トシはどうぞ召し上がってとお菓子を指さして促した。三人はおもむろに一個つまみ食べた。私はちょっと間を置いて二つ目に手を出しかかって両方を横目で見たが二人はその気配がない、私は唾を飲み込んで出しかかった手を気づかれないように引っ込めた。
「じゃ、よろしくお願いします」と言って立ち上がったが正座に慣れない私はシビレに足がよろめいてしまった。襖の陰で見ていた早苗は口に手を当てて声をころして笑った。三人が帰ったあと、早苗は残った三個のお菓子を食べると「あのふとっちょのおじさん、そんなに有名な人、その人が校歌を作ってくれるのかー」二、三度中村家で見かけた葦平氏を思い出しながらつぶやいた。

校歌はなかなか届かなかったが、卒業式間際の昭和三十年三月三日やっと航空便で届いた。一期上の七期生(内田校長たち)は、音楽の蒲池先生の指導で、二、三度練習し、三月九日の卒業式に初めて校歌を歌って卒業していった。
作曲は、あの激戦で有名なインパール大作戦に従軍して、僅かな水とカンパンを分け合いながら助け合って帰還した戦友の古関裕而氏であった。だから葦平氏の作詞の作曲は殆どあの有名な古関裕而氏である。

緒方早苗は、結婚後安部馨奈子と名を改め、母トシの七回忌法要の時、若松在住の姉の所に来た。その折一つ年上の幼い頃よく遊んだ玉井史太郎氏が居るはずの河伯洞を尋ねた。
馨奈子は「史(ふみ)さん、史さんでしょう」と声を掛けた。キョトーンとしている史太郎氏に「ホラ」古賀の中村さん宅でよく遊んだ早苗です。私緒方早苗ですョー。今は、安部馨奈子になってるけど。私すぐわかった史(ふみ)さんってー。史太郎氏はそれでも首をかしげるばかり、無理もない六十年振りの再会である。史太郎氏は早苗を見詰めながら、あの時の早苗ちゃんかなァーまだ分からない様子。それでも馨奈子は無理やり一方的に納得させ、安堵して河伯洞を後にした。

私たちは懇談を終え、香綾会館を出て黒門前で皆で写真を撮った。黒門の由来を手短に説明して若松に帰る四人の車を皆で見送った。日中はあんなに暑かったが初夏の風が心地よく頬をなでる。香椎宮の森から又ホトトギスの鳴き声が聞こえてきた。


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